三内丸山縄文遺跡

     「はやぶさ」が走りはじめました。
      一番列車が青森に着いた頃です。早くなりましたね~
      乗り心地はいかに?
      風景は見えるのかな?
      八戸の旅、青森に足を延ばしてみました。
      ここの縄文文化が1500年も続いていたこと、穏やかないい暮らしぶり、食材もなかなか揃っていたようです。
      有名な6本柱、クリの木だったとは!
      食材としてクリが栽培されていたことはしっていましたが、建材もクリだったとは!
      使用目的に応じて栽培を管理していたなんて、なんと素晴らしい文化だったのでしょう。
      また、訪ねたい所でした。
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6本柱建造物については諸説あるそうです。さて、みなさまはなんのための建造物だと思いますか?しばし縄文に思いをめぐらす週末です。




セツブンソウに会いに行った時、静かに咲き始めている桜を見つけました。風がとても冷たい日、健気でした。
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by kimiko_shibata1 | 2011-03-05 09:08 | | Comments(12)
Commented by namiheiii at 2011-03-05 10:13
ユニークな雪像ですね。
三内丸山縄文遺跡,10年ほど前訪れたことがあります。分からないことが多かったですが悠久の縄文文化に接した思いが記憶に残りました。
八甲田には行かれませんでしたか?今はまだ雪に埋もれているでしょう。樹氷を見てみたいですがもう身体が言う事を聞いてくれません。
Commented by hemi-kame at 2011-03-05 12:44
自然とバランス良く付き合っていた縄文時代の暮らしぶりがだんだんと分かってきたようですね。
我々が受けた縄文時代の教育は随分と粗雑でしたから、改めて縄文時代を見直していく努力は必要かもしれませんね。
雪像が縄文土偶になってるのが面白いです。
6本柱の建造物の用途は何だったのでしょうね。
Commented by kanmyougama at 2011-03-05 14:13
気候の変動もあったでしょうが、
縄文人がすんだ事実がありますから
すばらしいことだと思っています。
吉野ヶ里にせよ大きな建造物があると頃を見ると
権力の形ができているのかな・・・?。
思っています。
Commented by kimiko_shibata1 at 2011-03-05 19:38
namiheiii さま
こんばんは
土偶を形どった雪像が迎えてくれました。
青空の下、存在感たっぷりでした。
今回は八甲田山を青森から眺めただけでした。
Commented by kimiko_shibata1 at 2011-03-05 19:42
hemi-kame さま
こんばんは
私たちが習った縄文文化は大昔の話ですね。
文字もなかった時代の事ですから仕方ありません。
いろいろな事がわかってきて面白いですね。
思いのほか豊かな時代だったようです。
6本柱は天文台、灯台、祭壇・・・・などなど
Commented by kimiko_shibata1 at 2011-03-05 19:47
kanmyougama さま
こんばんは
今より5~6度気温が高かったそうです。
海流の影響もあり、魚もよく取れたそうで、思いのほか豊かな時代との説明でした。
こうした形を見ますと身分の差がでていたでしょうね。
諏訪の友人が御柱祭の技術を吉野ヶ里で発揮しましたが、この6本柱もそのような方法でたてられたのでしょうね。
再建にあたって、現在、これだけのクリの木は日本になく、ロシアから調達したそうです。
Commented by goldpony767 at 2011-03-06 05:50
栗の木ですか、ロシアにはあるのですね。
面白い歴史です。
Commented by シゲ at 2011-03-06 07:46 x
おはようございます。
ハヤブサは楽しみですね。夏に再び青森を訪れたいです。
先日は観光バスによる観光旅行でした。次回はレンタカーで
回ってみたいです。当然、三内丸山縄文遺跡も回りたいで
す。東北地方の縄文土器が九州の遺跡から出てくるの
だそうです。人的な交流があったのでしょうね。稲作を学び
に南に来たとの説もあるようです。栗よりも収穫率が違いま
すから。昨日、出流山の節分草を撮りに行きましたが期待外
れでした。今年は数が非常に少ないです。
Commented by kimiko_shibata1 at 2011-03-06 07:48
goldpony767 さま
おはようございます。
建材としてはクリが主だったそうです。
今の日本にはこんな高さの栗の木はなかったそうで・・・・
歴史は面白いですね。
Commented by kimiko_shibata1 at 2011-03-06 07:56
シゲ さま
おはようございます。
セツブンソウ、数も少なく、花も小さいです。これも時代の流れでしょうか?
先日は久々に秋山川から山越えで出流山へ・・・・
あの光景は凄いですね。鳥インフルで石灰を播きますから繁盛しているそうです。

私も次回の青森は車で回りたいです。
縄文人も広い範囲で交流していたそうですね。
ただ、矢板:矢板の黒曜石は三内からは発見されていないそうです。
時代が違っていたのでしょう。
面白い縄文時代です。
Commented by kawazukiyoshi at 2011-03-06 15:29
北の地の歴史は、まだ、解明され尽くしたとは言いがたいですね。
長い縄文の時代も、興味が尽きないものです。
森が豊かさを提供していたのでしょうね。
今日もスマイル
Commented by kimiko_shibata1 at 2011-03-06 21:57
kawazukiyoshi さま
こんばんは
北国の縄文文化・・・いろいろと解明されてきて面白いものですね。
どんな食事だったか、・・・1mもの鯛を食していたとは・・・
昔の歴史の時間からは想像もしませんでした。
啓蟄らしく暖かな一日でしたね。
私ももぞもぞと動きまわりました。
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